20170417 上州バッカス 「日々雑感 U」
湯本 憲二 寄稿 その2 カイロの写真
送信日時: 2017年4月17日 22:06
宛先: komineaki@hotmail.com
件名: カイロの写真
返事が送れてすみません。 スマホの不調で手間取りました。まだ使えません。 写真を2枚添付します。 記事に関連したものにしました。 もう遅い?
ラクダの写真は所有者のおっさんによるもの。ラクダ1頭は財産としては、トラック数台に匹敵しそうです。 「革命からしからぬ」だったですかね?
皮肉か(笑)か、にやりです。 そんなことに関連することも書いては見たのですが、投稿では割愛しました。 ま、分量の制約と言うことですが、限られた分量の3倍も使ってようやく書けるようなことは、自己満足の限りだとも思いました。 でもまたあえていえば、いくつかの場面を思い出します。
@ ベトナム戦争の何度かの停戦の時に仏教層の大規模な平和行動がありました。
「無力で無意味」というのが当時の「革命的で正当な」受け止めだと思っていました。
その後の「ボートピープル」で、「革命」に反対した少数民族・異教徒の集団の姿を思い知らされました。
A 故・岩井章氏の「安保戸締り論」というのがやはり70年代?に語られました。これは一定の広がりをもったのだと思います。 「ヒロシマ・ナガサキ」そして今の「辺野古・オール沖縄」につながるとも思える問題で、「絶対平和主義」という議論でもありそうです。
B 今のシリアやイラク・アフガンから、朝鮮戦争の「死のローラー」を思い出します。
漫画や映画の「天井の弦」などで感じたのは、 「正義性」とは別なところでの「争いそれ自体という残酷さ」でした。 人々は村を守るために、立ち場を越えて、新しい占領者を「歓迎」したわけです。これはわが身を振り返るとき大事な問題をはらんでいます。
今の時代はとくに、かつては軽蔑したはずの「絶対平和」論の掘り起こしも避けて通れそうにありません。年代的にも守備範囲はこのへんにありそうで。 それはそれとして、私なりに彼女たちと交感しあえる心を改めて大事にしたいと感じています。
もちろん男の子もいない訳ではないしいますが、ま、女の子に感じるある種特殊なものもやはりありそうで、この際思い切ってみました。 「ただの女好きのたわごと」かもしれませんが、「女好きでない『家族』も『男女共同参画論』」なども、とても食えたものではないとも思います。
親鸞が「女犯の罪」をあえて犯して苦しんだように、ま…。
もちろん女好きの差別主義者はあふれかえっていそうですがね。それで楽しいのかね?
楽しめるうちに楽しむ、いまはそんなところでもあります。 それと私のブログ、たまに更新しています。よろしく。

